日本の教育研究改革を求める会 設立趣旨
近年、日本の教育と研究は、目に見える形で低下しています。この背景には、教育や研究の現場で、本来大切にされるべきものが置き去りにされ、数値目標や短期的な成果ばかりが求められてきたことがあります。
私たちは、日本の教育と研究を真に豊かで意味あるものとするために、また大学の能力を最大限引き出して持続的発展を可能にするために、次の三つの改革を求めて賛同の輪を広げる活動をします。
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感銘と感心を基盤にした教育・人材育成
発明や発見あるいは社会変革への感心・感銘体験が人間の意欲と創造性を引き出します。しかし今の教科書は知識の羅列にとどまり、発見や発明、社会変革に至る物語をほとんど伝えていません。
これでは学生たちは感銘や感心を抱きにくく、自発的な学びや創造性から遠ざかってしまいます。私たちは、感心と感銘を覚えやすい教育への転換を求めて社会に呼びかけるとともに、科学技術イノベーション基本計画に「発明や発見あるいは社会課題の解決にまつわる発想や創意工夫、挑戦、もたらしたインパクトを教える教育」を盛り込むこと、大学入試などで感銘感心体験を問うことを求めます。 -
科学的素養を教える大学教育
大学・大学院で学生が身につけるべきことは単なる能力や技術、知識にとどまりません。科学的態度、原理原則の理解、議論の作法、新しい発見や発明の重要性の理解といった「科学的素養」こそが、社会に出た後も役立つ汎用能力の基盤であり、人間力を育むものです。私たちは、文部科学省に対してはポリシー策定ガイドラインの改訂を、大学に対してはディプロマポリシーを改定し科学的素養教育が実施されるように図ることを求めます。 -
結果ではなく環境実現を追求する方式への転換
数値目標や成果達成を大学に求める政策は、教育・研究現場を疲弊させています。 本当に必要なのは、成果が自然に生まれる「良い環境」を整えることです。
研究者・教育者が本来の力を発揮できる環境整備こそが、持続的な成長と創造につながります。私たちは、行政に対しては『大学に「成果」ではなく「成果が出やすい環境実現」を求める』ように政策を転換すること、大学に対しては、行政の指示を待たず自主的に「成果が出やすい環境実現」を目指すように方針を転換することを求めます。
これら三つの改革の必要性と期待される効果については、こちら(1、2、3)で議論されています。ぜひ上記の3つの改革の実施がより良い日本の未来につながるかご判断ください。私たちは、この改革を実現するために、
- 行政・政治家への提言
- 大学・教育機関への働きかけ
- 社会への浸透
を進めます。大学教員、高校教員、研究者、大学生・大学院生、高校生、そして子どもの教育に関心を持つすべての皆様。経済停滞と年金や医療サービスなどの社会基盤の脆弱化を憂いる皆さん。本会の活動にご賛同いただき、共に未来を変える力となってください。この会は、賛同者がさらに賛同者を増やすことで改革のエネルギーを得ることを目指します。ぜひ会の趣旨にご賛同いただき、周囲の方へ本会の活動をお知らせ頂くとともに、ご賛同をお勧めください。ログインタブよりログイン後、賛同タブよりご賛同をお願いいたします。
発起人一同
1. 感銘と感心を基盤にした教育・人材育成
学生さんと話をしていると、普通に卒業できればいい、就職できればいいと考えていることがよくあります。大学入試に合格するための勉強の続きとして、単位を取るための勉強、卒業するための勉強をしているといったところでしょうか。
大学に合格するための勉強、単位をとって卒業するための勉強。そこに全く意味がないとは思いませんが自らの目標を持った人がしている自発的勉強と比べると、学びの質が低くなるであろうことは否めないのではないかと思います。
少子化が進む我が国の将来を考えれば、自発的な意欲のもと主体的に学ぶ人を育てることが急務です。すなわち学生さんの意欲を育てるところから教育を考え直す必要があります。
意欲の育て方を考えるにあたって、意欲的な人とそうでない人の違いを考えてみようと思います。ここで着目するのは、感銘体験、感心体験です。 例えば大学の理系研究室が目指しているのは、発明あるいは発見をすることですが、 多くの学生さんは自ら「発明・発見」を成しとげたいとは思っていないのです。 そしてそのような学生さんに共通するのは、先人による過去の偉大な発見や発明に対して「すごい」と思った体験があまりないということです。 一方で、多くの研究者が研究者になったきっかけとして、先人による発明や発見に心打たれたことであるということを言います。 そうです。感心・感銘体験は意欲を育てるのです。これを教育に取り入れましょう。
受験勉強に代表されるような知識詰め込み型教育の弊害について、長く議論されてきたところと思います。 知識そのものを教えるだけでなく、「発明や発見あるいは社会課題の解決にまつわる発想や創意工夫、挑戦、もたらしたインパクト」について教えることが、弊害を乗り越える良い方法になるはずです。
これらを教えれば、発明や発見あるいは社会課題の解決が価値あるものだとの認識が芽生え、 自らも発明や発見を成したい、あるいは社会課題を解決したいという意欲が芽生える人が増えるでしょう。
意欲形成は勉強の質を変えるはずです。「これを学んで何になるのか?」という問いは「これを学ぶことは、私の目標達成にどのように関係するだろうか?」という問いへと変わり、 主体的な深い学びがなされるようになるはずです。深い学びが早く始まるに越したことはありませんから、初等中等教育で意欲形成を図ることはより重要な意味を持つはずです。
主体的意欲が育ちにくい現在の状況を改め、意欲的な人材を養うには「発明や発見あるいは社会課題の解決にまつわる発想や創意工夫、挑戦、もたらしたインパクト」について教えることを、 学習指導要領あるいは科学技術イノベーション基本計画に盛り込むことが重要です。そうすれば内発的動機に基づいて意欲的に学ぶ人材が今よりもずっと増えるはずです。
また、大学入試、大学院入試、あるいは就職活動の面接において、「あなたが感銘を受けた過去の発明や発見あるいは社会変革(「推し研」)について説明してください」あるいは「あなたの理想とする達成(アチーブメントモデル)はなんですか?」と、事前出題した上で問うことが重要です。準備をするうちに意欲が向上するはずです。
以下では、感心・感銘体験をベースとして人材の意欲向上を図ることがどのような効果をもたらすか、議論します。
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イノベーションが起きやすい社会の実現
学生さんは新しい発見や発明をすることが大事だということを自然と理解し、身につけることになります。新しい発見や発明が重要であるとの価値観を身につけた人が増えれば、日本のあちこちで大小のイノベーションが起きやすくなります。 -
科学技術立国の再来
様々な過去の発明や発見に焦点が集まることとなります。このことは、発明や発見へのリスペクト、ひいては研究者や技術者へのリスペクトを呼び起こすこととなります。科学技術立国を掲げながらも研究者の雇い止めや国外流出が起きている現状が変わり、日本の研究開発の国際競争力が向上するはずです。 -
社会の改善
科学の進歩や社会の改善への貢献は、自己利益に帰さない性質のものであると言えると思います。昨今、能力主義の弊害が指摘されています。成功した人々が、その成果を自らの努力や才能のみに帰し、利己的に振る舞うことで、社会の発展の妨げになっているという指摘です。発明や発見、社会課題の改善が重要だという価値観が強まれば、能力主義の弊害の打破や「今だけ金だけ自分だけ」などと言われる世風の打破につながり、日本社会が改善するはずです。 -
研究活動への社会的理解の亢進と研究の活性化
何か新しい発見か発明をしようとする研究活動、そしてそれを通じて人を育てて社会に送り出す教育活動は、必ずしも一般社会に正しく理解されていません。多くの人が就職活動で上記の面接対策をするようになれば、「研究者は、何か新しい発見か発明をするために研究をしている」ということが、広く社会的に理解されるようになり、日本の教育・研究の活性化につながります。社会が研究を支えるという文化の情勢にも繋がります。 -
価値多様性と活力の向上
現在、日本の研究力の衰退が問題となっています。この原因の一つは、論文数と獲得研究資金に強く偏って評価される評価体系によって価値多様性が減少し、活力低下をもたらしていることにあります。
過去になされた達成は多様な観点から感銘を与えており、必ずしも論文成果とは関係がありません。つまり過去になされた達成を教える教育は、アカデミアの価値多様性の向上と活力向上につながると期待されます。 -
研究の質の向上
過去の偉大な発見や発明がどのようなものであったか、そしてそれはどこがどう素晴らしかったのか、よく語られるようになります。つまりは、研究成果の質の議論が進むこととなります。いまのアカデミアの衰退の一因は、論文数や論文の被引用数などのいわゆる代替指標による評価がなされる反面、研究成果の質の評価がおざなりとなり、また、成果の質について議論する場がないことにあります。成果の質についての議論の活発化、ひいては代替指標による評価の脱却は研究の質を向上させます。
また、過去の研究成果について「どこがどうすごいか(価値があるか)」という視点で捉えている研究者は、自らの研究についても「これができたら価値が高い」というように、成果の価値・質が高まる方向をしっかりと見定めて研究に取り組むことが期待されます。そうなれば、意欲向上との相乗効果によって質の高い研究成果が生まれやすくなります。 -
研究不正の抑止
アチーブメントモデルをもって研究者になる人は研究不正をしないことが期待されます。日本が研究不正大国とされている状況を改める上でも、発明や発見あるいは社会課題の解決にまつわる発想や創意工夫、挑戦、もたらしたインパクトを教えることが重要です。
なすべきことは「発明や発見あるいは社会課題の解決にまつわる発想や創意工夫、挑戦、もたらしたインパクトを教える教育」についての記述を、学習指導要領あるいは科学技術イノベーション基本計画に盛り込むこと、 大学入試や就職活動の面接で「あなたの推し研は何か?」を事前出題することです。 これらは賛同の声さえ広がれば、どちらも容易に実現可能なものです。ぜひ、賛同の声を拡げていきましょう!
なお全員が画一的に意欲づけられなくてはいけないのかと誤解されかねないこと、また、個人の内面の自由に立ち入るのは公教育として適切でないとの考え方のもと、従来行政には「感心感銘体験に基づく意欲形成を図る」という表現で改革を求めていましたが、
これを変更し、「発明や発見あるいは社会課題の解決にまつわる発想や創意工夫、挑戦、もたらしたインパクトを教える教育」という表現へと改めました。
2. 科学的素養を教える大学教育
ディプロマポリシーを策定せよ(2005年ごろ)という話があった時に違和感を感じた人は多いかもしれません。ディプロマポリシーは「どのような力を身につけた者に学位を授与するか」についての方針のことです。アドミッションポリシー、カリキュラムポリシーと合わせた3つのポリシーを策定・公開することが大学に義務付けられています。
ここでの問題は「学位とは力、能力や技術の問題なのか?」「研究室で学ぶべきこと(教えるべきこと)には科学的素養と呼ぶべきもっと大事なことがあるのではないか?」ということです。科学的素養は「研究に関わる人材が固持すべき信念・価値観、あるいは従うべき原則、態度・行動・考え方の指針となるもの」のことです。
おそらく多くの研究室で不文律的に言われてきたことと思いますが、例えば「先生が正しいといっていたから正しいとは言ってはいけない」(権威を背景として命題の正誤判定をしてはいけない)ということが言われます。偉い人が言っていることが正しいなら、思考・議論は放棄され、間違いは放置されたままになってしまうでしょう。これは進歩の観点からよくないことです。
科学は新しいことを発見したり技術的な開発をしたりする上での強力な方法論であると言えると思いますが、科学の方法論を最大限活用するためには研究に携わる人材はどのようなことに留意し、また守らなくてはいけないか、そういったことにこそ焦点をおき、教育に取り入れていくべきです。
科学的素養については、後述することにして、科学的素養は修学目標として優れているということを挙げたいと思います。科学的素養は明文化することが可能で、テキストによって学ぶことができます。またそれぞれの素養が、どのように人材の生産性や汎用能力、例えば課題発見能力・解決能力やコミュニケーション能力と関係しているか説明することができます。また、実際に身についているかどうかを判定するための客観的指標を挙げることができます。
修得状況を客観的に測ることができることは、修得目標として、また、大学教育の質の保障の観点から極めて重要です。
ディプロマポリシーは「どのような力を身につけた者に学位を授与するかについての方針」として文部科学省が定めました。各大学は、これに合わせてディプロマポリシーを策定することとなりましたが「力」という語に引き寄せられすぎました。どの大学も、
- 高度に専門的な職業に従事できる卓越した能力
- 高度な国際的視野とコミュニケーション能力
- 社会に対して説明ができ、リーダーシップを発揮できるコミュニケーション能力
- 新たな課題を発見し探究及び設定できる力
といった「能力や技術」を並べることとなったのです。ディプロマポリシーなどのポリシー策定は、大学が教育理念に基づく充実した教育活動を展開する上で重要な取り組みであり、一定の役割を果たしてきたと思いますが、これをさらにブラッシュアップして科学的素養の考え方が取り入れられれば、人材育成効果をさらに高めることができます。学生目線からすれば、能力や技術の身につけ方が必ずしも判然としない上記のような能力に対して、テキストによって学ぶことができ、課題発見能力やコミュニケーション能力といった汎用能力との関係が説明される科学的素養は、修学意欲ひいては修学成果を向上させるものになりえます。また、身についているかどうか客観的な判断基準を示すことができる科学的素養の修得状況を学位審査で図ることがなされれば学位の質の信頼の向上へとつながります。
以上を踏まえ、大学教育・大学院教育を高度化し、大学・大学院を卒業する人材の生産性を向上させるため、大学にはディプロマポリシーを改訂して、科学的素養についての記述を盛り込み、実際に学位審査に科学的素養に関する審査項目を設けること、カリキュラムポリシー、アドミッションポリシーもそれに合わせて改訂することを求めます。
また文部科学省にはポリシー策定ガイドラインを改訂し、ディプロマポリシーについて「各大学、学部・学科などの教育理念に基づき、科学的方法論や科学的態度の修得状況をどのように判定するか、また、どのような力を身につけたものに卒業を認定し学位を授与するのかを定める基本的な方針であり、学生の学修成果の目標となるもの」のように変更することを求めます。
以下に科学的素養とはどのようなものか説明を試みます。ここでの記述は書籍「 大学で学べる科学的素養 」に準じますが、科学的素養についてのより適切なまとめ方があるはずであり、各大学で議論していくべきことと思います。重要なのは、修学目標としてまた学位審査項目として活用することに鑑み、(1)明文化が可能であることと、(2)修得状況について客観的に判断するための根拠を明示できること、(3)人材の生産性や汎用能力との関連を議論できることです。
権威を命題の真偽判定に利用しないことを言います。権威とは例えば偉い先生、一流ジャーナル、新聞、多くの人の意見などです。思考力を始め課題発見能力、解決能力の基礎となるものです。
よくわからないことについて明らかにしていく活動においては、観察を述べてから解釈を述べる順番を守り、必ずしも正しいとは限らない解釈を一人歩きさせないことが重要です。課題発見能力や課題解決能力、コミュニケーション能力と関係します。
原理原則を積み上げるようにして物事を着実に理解すること、理解に基づいた説明をすることが重要です。対するのは、思考の過程を飛ばして結論だけを求めるような方式、実験の背景や理論を置き去りにしてするべき作業を求める方式を指します。思考力や課題発見能力、思考の柔軟性などと関連します。
研究においては新しい知識・理解あるいは技術を生み出すことが重要であるという科学研究の価値観を理解し、それに準じた研究発表ができることを指します。学位審査発表では、何が新しい発見か明確に主張できていなくてはなりません。創造力、発明力・発見力と関連します。
議論の対象を定め、議論の対象に焦点を絞って生産的な議論を行うことを指します。コミュニケーション能力、課題解決能力と関連します。
発表においては、他の研究者が自分のデータから何かを発見するかもしれないことを念頭におくことが重要です。すなわち、自身の成果を強調するあまり、不都合なデータを隠すといった不適切な行為をしないことが重要です。「よくわからないデータであっても発表することで、他の研究者による助けのもと理解が深まるかもしれない」という他研究者への信頼はコミュニケーション能力の基盤となるものです。またさらには、自分の主張を補強するためのデータをチェリーピッキングしないことも含まれます。
研究上の問題も含め様々な問題が社会にはありますが、問題解決につながる原因を考えること、少なくとも問題解決に資する「原因」とそうでない「原因」を区別することが大事です。課題発見・解決能力と関係します。
科学的素養は、思考力や課題解決能力といった汎用能力と深く関わっています。大学で科学的素養をしっかりと教えることで日本を支える人材の質が上がります。ぜひ教育に導入していきましょう。
3. 結果ではなく環境実現を追求する方式への転換
日本の研究力低下が言われるようになって久しいですが、解決に重要なのは、大学改革の枠組みを大きく変更することです。現在大学は、運営費交付金の増減という死活問題や、自ら掲げた到達目標をクリアする必要などから、論文数やtop10%論文数、スタートアップ企業数などの指標値向上に駆り立てられてしまっています。
このような状況下で、指標値達成のための場当たり的な対策が取られるなどした結果、教育・研究現場が疲弊してきました。成果の小出し、研究グループ間の過剰な相互論文引用といったKPIハック(指標値が見た目上良くなるように、表面的な対策を行うこと)、論文数を増やすための科学的価値の低い研究の横行、研究不正、成果が見えにくい教育の忌避などが副作用的に起き、大学アウトプットの低下を招いてきたのです。
大学運営の関心は、行政に指標値向上を示さなくてはいけないこともあって、指標値向上に強く向けられてきました。その一方で、行政から言及されていない問題、実際の教育研究にある重要な問題には関心が向きませんでした。例えば、学生が必ずしも意欲的でない問題、学位の信頼に関する問題、閉鎖的研究室の問題、といった指標値とは関連の薄い問題を解決しようという機運が高まらなかったのです。また、教育・研究レベルをどのようにすれば向上できるかについてのノウハウも蓄積してきませんでした。
今必要なのは、指標値向上を直接的に目指してしまう大学の性質や、指標値向上を目指すことで様々な副作用が起こること、大学に数値指標としての結果を求めることは大学の持続的な発展につながらないことを十二分に認識し、大学が独立した教育・研究機関として、自律的に改革を実施できるように制度設計に織り込むことです。
我々の主張はとても単純なものです。行政は、大学に結果を求めるのではなく、結果が出やすい環境の実現を求めるように変わるべきです。また各大学は、結果を直接的に出そうとするのではなく、結果が出やすい環境実現を目指すように改めるべきです。
追求目標を、結果から結果が出やすい環境実現へと変更すると何が起こるでしょうか?まず、大学運営層が、環境実現に責任を負うこととなり現場をよく調べ実態を知ろうとするようになります。また、大学業務が環境実現と教育研究に明確に分割されるようになります。さらに、大学運営層に環境の整え方に関するノウハウが蓄積するようになり、成果が出やすい環境が次第に整っていきます。ノウハウは大学間で共有されることとなり、環境改善が加速していきます。全国的に、研究者の目線に立って研究支援、環境整備がされるようになるのです。
成果が出やすい環境を掲げ、その実現を目指す。コンセプトは非常に単純です。 ではそのコンセプトをどのようにして具現化すればいいでしょうか?その枠組みを説明します。
まず目指すべき環境を見定めます。例えば「アイデアを得やすい環境」というような環境です。そして、その環境を実現するにあたって、より具体的な実現目標(実現要求項目と呼びます)、例えば「研究人材間の日常的な相互作用が多いこと」を設定します。そして、実現要求項目を達成するためのプラン、例えば「交流会を開く」と言ったアクションを計画します。さらに、実現状況を測定するための指標(KPI)とその測定方法を整理します。 例えば「一週間の間に何人とディスカッションしたか」「一年間で新たに知り合った人は何人いるか」ということを指標とし、これらをアンケート調査によって測定することを計画します。 計画を立て(Plan)、実行し(Do)、効果を測定し(Check)、改善を図る(Act)。 この方式を、environment-oriented PDCA方式(ePDCA方式)と呼ますが、このサイクルを繰り返すことによって、目指す環境を実現していきます。
結果ではなく結果が出やすい環境をePDCA方式によって実現を図るというこのコンセプトをRE-UPコンセプトと呼びます。
大学ごとに様々な環境を見定めその実現を図っていくべきであり、それによって個性のある大学が作り上げられていくと思いますが、RE-UPコンセプトの理解につなげるため、別途提案されている実装案についてごく簡単に紹介します(詳細を記したファイルはこちらからダウンロードできます)。なおRE-UPはRe-Engineering of Universities for Progressにちなむ造語です。
本実装案では研究人材の意欲に関連する環境と、研究成果が出るまでの各プロセスに着目した環境、合計7つの環境の実現を図ります。実装案には実現要求項目、アクションプラン、KPIとKPI測定のためのアンケート項目が含まれます。本実装案で実現を目指すのは以下の環境です。
- 基盤的環境
- 1. 意欲が向上・維持されやすい環境
- 教育環境
- 2. 学生の意欲が高まる環境
- 研究の各プロセスについての環境
- 3. アイデアを得やすい環境
- 4. アイデアの破棄が起こりやすい環境
- 5. アイデアを試しやすい環境
- 6. 研究の本格実施がしやすい環境
- 7. 研究発表・社会実装がしやすい環境
アクションプランとしては以下の6つが含まれています。
- 科学的素養の普及による学びの高度化
科学は生産性を飛躍的に高める方法論ですが、現在の大学では能力やスキルに着目したポリシー策定がなされる状況にあります。すなわち能力やスキルの基盤であり、教育上極めて重要な科学的素養の修得が学修目標から外れてしまっています。これでは教育によって人材の生産性を十分に伸ばすことができません。科学的素養は、さまざまな能力・スキルとは異なり、(1)明文化が可能、(2) 卒業後の進路に限らずどこに行っても有用、(3)修得状況を客観的指標で判定可能といった、修学目標として優れた性質を持っており、学生の意欲向上・研究能力向上をもたらすことが期待できます。授業で取り扱うなどして、科学的素養を修得させる教育を行います。 - 価値多様性向上プログラムの実施
現在のアカデミアは、論文業績と研究費獲得額に極めて強く偏って評価される状態にあります。特にポジション獲得が重要である若手に大きな影響を与えており、価値多様性が減少しています(論文業績と研究費獲以外の価値が軽んじられた状態にあります)。価値多様性の減少は大学の活力低下をもたらし、また、価値創造に悪影響を与えています。そこで、必ずしも論文業績や研究費獲得に繋がらないような、新しい価値の創造につながる活動、大学の研究力向上に資する取り組みを公募、あるいは発表の場を定期的に設け、審査の上、顕彰します。 - ユニットクラスター制の導入
大学などの組織には、構成員が協力しあうことで生産性が向上することが期待されます。しかしながら、昨今の個人レベルの業績主義、大学部局内のモザイク的選択と集中、予算の目的外使用禁止といったさまざまな制度的要因によって研究人材が分断され、研究単位の小型化が起き「日常空間内で人材が協力し合うことによって生産性が高まる」効果が著しく減少し、日本の研究力が低下しています(書籍「日本の研究力低迷問題の原因と解決方法」をご参照ください)。
5〜10人ほどのPIを集めて100から150人ほどが所属する一つのグループ(ユニットクラスターと呼ぶ)を作ります。ユニットクラスターが適切に生産性向上効果を発揮するよう、メンバー相互の利害共有を図りつつ、研究スペース・日常生活を共有させます。 - HQA法による研究成果の質評価
論文数やtop 10 %論文数といった代替指標が大学評価に用いられおり、研究成果の質の評価が行われていません。そのため、成果の質が顧みられず、成果の質が向上しないばかりか、成果を小出しにして論文数を増やす行為や研究不正、やる前から結果がわかっているような科学的価値が低い研究への取り組み、といった弊害が目立つ状況にあります。
膨大な数の成果を質に踏み込んで評価するのは困難だと考えられていますが、大学組織階層を利用していわばトーナメント戦方式で研究成果を評価すHQA法(階層的研究成果質評価法: hierarchical research quality assessment法)による研究成果の質評価を実施します。成果の質の評価によって、閉鎖的な大学組織に横つながりや協働が生まれ、成果の質についての議論がなされるようになって成果の質が向上します。 - 入試で「推し研」を問うことによる入学前意欲向上
大学では学生の意欲不足が問題となっています。受験勉強を乗り越え合格した途端に勉強意欲を失う学生や、卒業だけが目的であるかのような学生も珍しくありません。
論文を書くこと、学会発表をすることが、奨学金免除を受けたり就職活動を有利に進めたりするための手段になってしまっており、心が研究対象に向かっていない学生も目立ちます。このような学生は、能力向上が極めて限定的となることが普通であり、指導教員を疲弊させ、研究力を低下させています。一方で「いつか何かすごい発見か発明をしたい」という、まっすぐな研究意欲を持った学生は少数派です。
このような状況を改善するため、大学入試などで「人に推したいような、感銘を受けた発見・発明」(推し研)を問います。「推し研」には、社会科学的発明、制度の実現などが幅広く含まれますが、これを問うことによって入学する学生の学習意欲を向上させます。 - 研究人材の保有技術・経験の可視化
教員の研究概要や研究実績はResearch mapなどが整備され公開される一方で、どのような技術や経験を有しているかに関しては直接的には公開されていないことがほとんどです。したがって、何か特定の研究技術を持っている人を探しだすことが困難です。また、研究機器ファシリティの充実が図られていますが、機器オペレーターの技術レベルを認定する制度と機器使用経験実績を公開する仕組みがあれば、オペレーターの技術レベル向上と、保有能力の積極的活用を促すことができます。以上を踏まえ以下のアクションを実施します。- 研究人材に研究技術をぶら下げるのではなく、研究技術・研究機器に人材をぶら下げた研究技術・研究機器データベースシステムTechFace(仮称)を整備し、保有技術・機器を学内外に公開します。
- 機器使用経験実績を記録、公開する仕組みを整備します。
- 機器オペレーターの研究技術レベルとレベル認定方法を整理します。
日本の研究力の低下問題は、小手先の対応でなんとかなる域を超えた構造的な問題によるものです。今必要なのは、抜本的な解決策、すなわち大学行政を大きく転換することです。「大学に結果を求めるのではなく、結果が出やすい環境を実現する方式」へと転換することを求めましょう。
大学に成果を求めるあまり教育力・研究力が低下してしまう問題は日本特有の問題ではないようです。持続的な大学発展を可能にするやり方への転換によって、再び科学技術立国を目指そうではありませんか。
この活動は日本を良くするはずです。ぜひログインして賛同してください。
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