オリザニン(後のビタミンB1)の濃縮に成功した鈴木梅太郎
学校の健診で、先生にひざをコツンとたたかれたこと、ありますよね(膝蓋腱反射)。この反射が起きるかどうかを調べるのは、脚気(かっけ)にかかっているかどうかを調べるためです。
脚気は古くは江戸わずらいと呼ばれていました。江戸や明治の都市・軍隊では白いごはん(精白米)が人気で、しびれ・だるさ、ひどいとむくみや心不全まで起き、死亡する人もいました。
日露戦争期には、陸軍で脚気患者が約20数万人、死亡は約2万7千人規模にのぼったとの統計があります。脚気になると元気がなくなってフラフラするのですから、戦いになりません。兵士が脚気にならないようにすることは、非常に重要だったのです。
実は当時から、こんな経験知がありました。
「ぬか(米の外側)や麦飯を食べると、脚気がよくなる」
お医者さんの記録や養生書、現場の人たちの口伝、さらには海外でも、ぬかを加えると動物が元気になるという報告が出てきます。——でも、なぜ効くのか? その“正体”は目で見えないほど微量で、だれにもわかりませんでした。
そこで登場するのが鈴木梅太郎。彼は「経験」を科学の言葉に変えることに挑みます。
見えないなら、性質で探そう。何に溶ける/溶けない? 酸や熱には強い? 弱い?
梅太郎は、ぬかを水やアルコールで洗い、水溶性の物質を抽出しました。ろ過・沈殿・濃縮で不要物を除き、酸性だと安定/アルカリや長い加熱で弱るといった“有効成分の性質”を手がかりに、成分を濃縮していきました。こうして得た高活性の濃縮物がオリザニン(のちに主成分がビタミンB₁=チアミンだと確定)です。
でも、本当に効くの?——確かめるのが科学。
白米だけで弱った鶏や鳩に、オリザニンを少しずつ与えると回復する。量を増やすほどよく効く。ここで初めて、ぬかの“効き目”が実験の数字として証明されました。経験知は、再現できる知識になったのです。
オリザニンは製剤としても使われました。すぐに食事を変えられない軍隊・船・寄宿舎・都市の台所では、不足分を正確に足す道具が必要だったからです。さらに研究のリレーは続き、海外の研究者が有効成分を結晶としてとらえ、構造決定・合成へ。名前はチアミン。脚気の正体はビタミンB₁の欠乏だと、誰もが納得できる形で決着しました。やがて米や小麦粉へのビタミン強化が広まり、脚気は激減していきます。
もし「白米をやめればいい」で終わっていたら?
好み・保存・配給の事情ですぐには変えられなかった。だからこそ、経験知(ぬかが効く)を成分としてつかまえ製剤にしたことが、多くの命を救ったのです。
感銘ポイント
- 発想: 感染ではなく欠乏に目を向け、ぬか中の有効成分の濃縮を行ったこと。
- 挑戦: 目に見えない微量成分を、多量のぬかを出発材料に濃縮を成功させた。
- 工夫: 溶媒・酸塩基・熱を使う抽出・濃縮と、生物試験で“効く”を数値で示す手順。
- 貢献: ビタミンB₁の確立と食品強化で、公衆衛生を一変。
おまけ
後の生化学的研究により、ビタミンB₁(別名チアミン)は、実際に働くときはビタミンB1がピロリン酸化されたチアミンピロリン酸(TPP)として働くこと、TPPは
- 解糖系によって作られたピルビン酸をアセチルCoAに変換するピルビン酸デヒドロゲナーゼ、
- TCAサイクルのα-ケトグルタル酸をスクシニルCoAに変換するα-ケトグルタル酸デヒドロゲナーゼ、
- ペントースリン酸経路のトランスケトラーゼ
などの重要酵素に必須であることが解明されました。
ビタミンB₁が欠乏するとこれらの酵素による反応が滞り、ATP合成が十分でなくなります。欠乏によって末梢神経や心筋がとくに影響を受け、冒頭のような症状(しびれ・反射低下、むくみや心不全)が現れると理解されています。
ここでは省略しますが、こういった反応にビタミンB1が関係していることを発見した研究者がいること、ビタミンB1はTPPとして働くことを発見した研究者がいることを忘れないようにしましょう。