フレミングによるペニシリンの発見
みなさんは、転んで膝を擦りむいたときに「死んでしまうかもしれない」と思ったことはありますか? おそらく、そんなふうに考えたことはないでしょう。ばんそうこうをはったり、ぬり薬をつけたりすれば、たいていすぐに治ります。
たった100年ほど前の世界を考えてみましょう。 当時、人が亡くなる理由の多くは「感染症」でした。
肺炎や結核、赤痢や敗血症――。 アメリカでは、なんと亡くなった人の六割が感染症によるものだったといいます。 平均寿命も40代にとどまり、ちょっとしたけがや病気が命取りになっていたのです。 日本でも、戦前までは結核が「国民病」とよばれるほど多くの命をうばっていました。
――そんな時代に、一人の研究者が「カビ」に目をとめました。
1928年、イギリスのロンドンにある聖メアリー病院。 アレクサンダー・フレミングという研究者は、いつものようにブドウ球菌という細菌をガラスのシャーレで育てていました。
ところがある日、そのシャーレに思わぬものが混じっていました。青緑色のカビです。 ふつうなら「失敗」として捨ててしまうところでしょう。ところがフレミングはじっと観察しました。 カビのまわりだけ、ブドウ球菌が生えていなかったのです。
「もしかすると、このカビがこの細菌を殺す物質を出しているのではないか?」 フレミングはそう考え、実験を重ねました。
やがてそのカビは「ペニシリウム・ノターツム」という種類であることがわかり、そこから生まれる物質は「ペニシリン」と名づけられました。 ただし当時の技術ではペニシリンを大量につくることはできず、フレミング自身は論文を発表するまでにとどまりました。
それから十年あまりがすぎ、第二次世界大戦が始まるころ、オックスフォード大学のフローリーやチェインらがペニシリンの精製と大量生産に成功しました。 ペニシリンは戦場で多くの兵士の命を救い、やがて世界じゅうの病院に広がっていきます。
ペニシリンの発見は、一つの薬にとどまらない大きな意味をもちました。 「細菌を退治する物質=抗生物質は、きっとほかにもあるにちがいない」 この考えが世界中の研究者を動かし、その後ストレプトマイシンやテトラサイクリンなど、次々と新しい抗生物質が見つかっていきました。
感心・感銘ポイント
- 発想:失敗したはずのシャーレを「ただの失敗」とせず観察し、気づいた。
- 挑戦:前例のない「カビの力を調べる」という未知の研究にふみ出した。
- 工夫:当時の技術でできる限り成分を調べ、発表した。
- 貢献:ペニシリンをきっかけに抗生物質の研究が進み、人類の平均寿命は大きくのびた。
フレミングの発見は、人類の福祉に多大な貢献をしました。 もしあなたがその場にいて、フレミングが見たのと同じシャーレを見ていたら、同じことに気がつけたと思いますか? 同じ場面が10回ぐらいあったら、1回ぐらいは気がつけたかもしれませんね。