緑色蛍光タンパク質GFPの発見 (1962年 下村脩)
みなさん緑色蛍光タンパク質(GFP)はご存知でしょうか?これほど有名なタンパク質はなかなか他にはないかもしれません。
GFPは、現代の分子生物学にとってなくてはならないツールとなっています。
GFP利用のためのハードルは低く、分子生物学を実施している研究室なら特に何の障害もなく利用することができます。
例えばGFPを興味あるタンパク質と融合して発現させて、細胞内のどこにあるかを調べたりできます。光を当てるだけで調べることができるので、電子顕微鏡で調べたりするのと比べてとても簡単ですし、例えばマウスなどを殺してしまうことなく、調べることができます。
興味あるタンパク質がどれくらい発現しているかを、簡単に測定することもできます。
日常生活でGFPのお世話になることはないと思いますが、ちょっとその方面で研究を始めたら、GFPを使わずにはいられない、というくらいの超重要な研究ツールです。
発見者は日本人、下村脩博士です。
本題に入る前に...
少し整理しておきたいと思います。生物が発する光は「蛍光」と「発光」の二つに分けられます。「発光」は分子の形が変わるのに伴って持っている化学エネルギーが光に変換されるものです。以下の話にあるようなルシフェリンが光るのは発光です。
一方で、「蛍光」は分子に光が当たったときに、そのエネルギーが一時的に分子に蓄えられたのちに、少し違う色の光として放たれる光のことです。
ちょっとややこしいのは「蛍(ホタル)」の光は、蛍光ではなく、発光だということです。
発見のお話
下村博士が追いかけていたのは、オワンクラゲが光る仕組みでした。研究開始時に下村博士はすでにウミホタルが光るのに重要な働きをするルシフェリンの精製と結晶化に成功していました。
ウミホタルルシフェリンは、それほど大きくない化合物で、酸素と反応してオキシルシフェリンになるときに光を出します。
当初の仮説、すなわち「オワンクラゲが光るのも同じ仕組みで、ルシフェラーゼがルシフェリンを酸化して、その際に光るのだろう」という仮説は当たらず、ルシフェリンやルシフェラーゼの精製はうまくいきませんでした。
ルシフェリンを精製しようと思ったら、精製中に光ってしまうと困ります。光るということは、ルシフェリンが酸化されて別のものになってしまうことを意味するからです。
光らないようにするにはどうしたらいいか、手がかりもなく悩む日を送りました。
あるとき下村博士は、PHを変えれば、光らなくなるのではないかと考え、PHを変えてみました。PH7、6、5では光りましたがPH4では光らなくなりました。
下村博士は、オワンクラゲの発光器官をすりつぶしてPHを4にし、これを濾過したのちに、液体のPHを中性に戻しました。すると再び光るようになったのです。
これは、発光物質を精製するための基本的な道筋ができたことを意味します。これで精製ができるぞ!と博士は喜んだに違いありません。
そして驚きはその直後に訪れました。オワンクラゲの抽出物を流しに捨てた時、青い光が強く光ったのです。
流しには、水槽からの海水が流れ込んできており、それと反応したことがわかりました。水槽の海水は人工海水であり、すぐに海水中のカルシウムが強い発光と関係していることが見つかりました。
カルシウムが発光に関係するとなれば、EDTAで発光を簡単に抑えることができます。EDTAという物質はカルシウムに結合して機能しないようにしてしまうのです。
このようにして精製のためのヒントが得られ博士のチームは10,000匹ものオワンクラゲから、青い光を放つタンパク質、エクオリンの精製に成功したのです。
博士はエクオリンとは別の緑色の強い蛍光を発するタンパク質(GFP)にも気が付いており、こちらの精製にも成功しました。
GFPは上述したように、単体では光を出しません。オワンクラゲの発光器官ではGFPは、エクオリンが放った光のエネルギーを受け取って、緑色に光るのです。
まだまだ続く探究のものがたり
博士の研究はまだ続きます。エクオリンの発光の仕組みを突き止めるのです。
エクオリンはカルシウムがあると光るのですから、カルシウムの存在を知るためのバイオセンサーとして有用で、そのためにも発行の仕組みの詳細を解明することが重要だったのです。
エクオリンのクロモフォア(発光に関わる化合物または化合物中の一部分)は不安定で、精製は困難でしたが、2-メルカプとエタノールを加えた状態でエクオリンを尿素で変性させると安定であることがわかりました。
そして、このクロモフォアの分子構造を決定するのに少なくとも50,000匹ものオワンクラゲが必要だということがわかりました。
そして、オワンクラゲの発光器官を切り出すための専用の機械を作るなどして、5年の年月をかけてエクオリンのクロモフォアの構造決定に成功したのです!
そうそう。GFPの話でした。博士は、エクオリンの精製を行いながらGFPの精製を何年間も行いたくさんのGFPを精製しました。たくさんのGFPがたまったところで下村博士は100 mgものGFPを一度に使って実験を行いました。
GFPをプロテアーゼの一種で断片化し、蛍光を発する断片を突き止め、分子構造を決定したのです。タンパク質はアミノ酸がたくさん結合してできているのですが、クロモフォアは3つのアミノ酸部分が化学的に変化したものでした。これがわかったのは1979年のことです。
タンパク質そのものが緑色蛍光を発することは、GFPを実験ツールとして利用する上でとても重要なことでした。例えば、ルシフェラーゼとルシフェリンで光らせるシステムを作るなら、細胞内で一般的な物質ではないルシフェリンをどうやって供給するか考えなくてはいけませんが、GFP単体で良いなら話はずっと簡単なのです!
博士によるGFPの研究はここまでで、遺伝子のクローニングはPrasherらが(1992年)、生体内での発現はChalfieらが(1994年)、そして有用性の確立はRoger Tsienが行いました。
終わりに
いかがでしたでしょうか。GFPの発見はエクオリン研究のオマケ的に発見されたもののようです。
下村博士が2008年にノーベル賞を受賞した時の講演要旨には以下のようにあります。 「GFPのクロモフォアを決定後、GFPに関して私ができることは全てやったと思った。GFPの研究はこれで終わりにし、私のライフワークつまり生物発光の研究に努力を集中することにした」。 ここから下村博士は「GFP研究はライフワーク」だとは思っていなかったことが読み取れます。
メインだと思っていなかった仕事が、ノーベル賞につながった訳ですね!
感心・感銘ポイント
- 発想:エクオリンに興味を持ちながら、わずかに存在していたGFPタンパク質にも着目した。 「何か重要な発見につながるかも」と思ったのかもしれません。計画していたこと以外にもちゃんと目を向けたことが素晴らしいですね!PHを変えれば良いのではないかと思いついたこと、エクオリンを安定にする方法を見出したこと、タンパク質を断片化してからクロモフォアの構造解析する方法を考えるなど、随所に発想が光っています。
- 挑戦:大量の生物素材から、何年もかけて十分量のタンパク質を精製した。
- 工夫:オワンクラゲを効率良く処理するための機械を開発しながら、大量のオワンクラゲからエクオリン、GFPの精製を行った。
- 貢献:GFPは分子生物学を行うのに極めて有用であり世界中の研究者によって利用されている。