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発明発見100物語

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光の速度を求めたフィゾーの実験

みなさんは、光のスピードはとても速そうだと思ったことがありますか? 遠くのビルの窓の光や、遠くの自動車のライトの光。とてつもないスピードで自分の方に向かってきている気がします。

しかし光にもちゃんと速さがあります。 それも、人間が走る速さや、車や電車の速さとくらべものにならないほど大きいのです。 一秒間に地球を七回半も回ってしまう――そんなとてつもない速さです。

では、その光の速さを人間はどうやって測ったのでしょうか? その答えを初めて地上で示したのが、フランスの若い研究者、イポリット・フィゾーでした。 時は1849年、今から170年以上も前のことです。

光の速さは本当に測れるのか?

当時、光の速さについては二つの考えがありました。 「光は無限に速く、瞬間的に届く」という考えと、 「光も波や粒のように進むから有限の速さを持つ」という考えです。

実はもっと前に、天文学者が星の動きの観測から光速を推定していました。 けれども、それは遠い宇宙を使った間接的な推測であって、 地上で「人間の手で測った」わけではありませんでした。

光の速さはあまりにも大きく、当時の人々にとって「どう測ればいいのか分からないもの」でした。

フィゾーの発想

そんな中でフィゾーは考えました。 「光を遠くの鏡に当てて、戻ってくるまでの時間を測れば、速さが求められるのではないか?」

でも問題があります。光はあまりにも速く、ストップウォッチではとても測れません。 そこでフィゾーは、歯車のすき間を利用する方法を思いつきました。

光を歯車のすき間から通し、遠くの鏡に当てて戻す。 もし歯車が止まっていれば、光はすき間を通って帰ってきて、またすき間から見える。 しかし歯車を高速で回しておけば、光が戻ってきたときにはすき間が「歯」に変わり、 光がさえぎられて見えなくなる。

この「見える ↔ 見えない」の境目から、光が行って帰るまでの時間を計算できる―― これがフィゾーの独創的な発想でした。

8.6キロの挑戦

とはいえ、その実験は並大抵のものではありませんでした。 フィゾーはパリ郊外に約8.6キロも離れた地点を選び、そこに大きな鏡を設置しました。

8.6キロといえば、学校から家までを何往復もしなければならない距離です。 人が走れば1時間以上かかってしまいます。

その遠くの鏡に光を正確に当て、反射して戻ってきた光を望遠鏡でとらえる―― 実際にやるとなれば気が遠くなるような挑戦です。

しかも、もし光が想像以上に速ければ、この方法では測れないかもしれない。 距離をのばしすぎれば光が弱くなり、望遠鏡ではとらえられないかもしれない。 「本当に測れるかどうか」は、やってみるまで分からなかったのです。

工夫の数々

フィゾーは歯車の回転を一定に保つために、当時すでにあった振り子時計を基準にしました。 振り子時計は一秒ごとに正確に刻むことができるので、 「10秒間に歯車が何回転するか」を数えれば、1秒あたりの回転数が分かります。

歯車の歯の数と回転数が分かれば、光が往復する時間を計算できます。 さらにハーフミラーを用いて、光を片方に送りつつ、戻ってきた光を目に導く工夫もしました。

望遠鏡で遠方の反射光を確実にとらえる仕組みも加わり、ついに実験の準備が整ったのです。

人類初の測定

フィゾーの測定によって得られた値は、一秒間に約31万キロメートル。 現代の正確な値(299,792 km/s)と比べてもほとんど変わりません。

人類は初めて、地上で「光の速さ」を数字として手に入れたのです。 人々は驚きました。光のように「測れない」と思われていたものでも、 人間の工夫と挑戦によって測ることができると示されたからです。


感心・感銘ポイント

フィゾーはどうやって歯車のアイデアを思いついたのかは分かりませんが、 アイデアを思いついた時「これで光の速度を求められるぞ!」と興奮したのに違いありません。 装置を組み上げて実験をし、光が見えなくなる瞬間が訪れたとき、 そして、再び光が見えるようになる瞬間が訪れたとき、フィゾーはどんな気持ちだったでしょうか。嬉しかったでしょうね!

まとめ

フィゾーの実験は、ただ光の速さを求めただけではありません。 それは「どのように測ったらよいか分からないものでも、工夫と挑戦によって測定することができる」ということを、世界に示した出来事でした。 この成果は、のちの研究者たちに大きな勇気を与え、科学の新しい時代をひらいたのです。



感心・感銘体験は意欲を伸ばすのに重要なだけではなく、研究者になって論文を書いたりする上でとても重要です。 「この成果すごいな」と思ったことのない人が、自分がこれから出すはずの成果のどこが優れているのか理解して研究を進めることはほぼ不可能でしょう。 感心・感銘体験は「これができたら良い論文になるな」と感じとるのに必要な感受性を育てるのです。